ビザが却下され崖っぷちの状態に。
とりあえず、非常にまずい状況だったので、会社と一緒に弁護士へ。
究極の選択
弁護士いわく、
『今回は申請方法を完全に間違うというミスをしてしまっているので、申請を却下された事は、くつがえすことはできない。だけど、申請をWithdraw(自分の意思により申請を取り下げる)すればまだ道が残っている。』
ここが少し複雑で、、、
2つの選択肢がある。その1つが移民局の決断に対して弁護士を通してAppealする(つまり裁判を起こすということ)もう1つがWithdraw、申請取り下げをする。
つまりAppealしても勝ち目がない。もし負けてしまったら、ビザ歴が汚れてしまって、永住権を取ることはほぼ不可能になるということ。なのでWithdrawして、申請をやり直せということらしい。
申請をやり直す手順
永住権の申請早すぎて失敗
↓
40日以内に国外退去 or 次のビザを確保する
↓
もう一回スポンサービザを取り直し
(すでにスポンサーで働いて2年以上経過しているので、
これを取り直せばすぐに永住権申請可能)
↓
再び永住権申請
という流れ。
今からもう一回スポンサービザを申請(申請料45万)そして、そのビザが下りれば、もう一回永住権申請(申請料70万)。
申請料だけで合計115万。
ちーーーーーーん
+弁護士代費用、今回のケースは少し複雑だからなーなどと言われ、うんじゅうまんえん…。
ちーーーーーーーーーーーーん
ちょっとまってちょとまって、
はじめに失った70万、今から払う申請料115万、そしてさらに弁護士費用うんじゅうまん。はい200万余裕でこえるー。
ちーーーーーーーーーーーーーーーーーん
最後の追い打ち
永住権を申請した後、舞い上がっていた僕たちはブリッジングBビザに切り替え(申請中に国外に出るためのビザ)2年ぶりに日本に帰り、豪遊し、、、お金を使い。。。
ブリッジングBビザからさらに新しいビザを申請する場合ブリッジングCというビザに切り替わり、労働許可がその間下りない。え?
どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん
その間給料でません。
おわた…。
しかも、そのビザいつ下りるかわかりません。まず下りるかかどうかすら確かではありません。
もう日本帰ろうか。妻と話し合い、日本での仕事や住む場所なども考えていましたが、
いや、いかん!ここで諦めるとオーストラリアに70万寄付しただけになってしまう!なんとしてでも永住権を取り、オーストラリア政府から申請料の倍は取り返す!という野心を抱き、
無期限自宅軟禁、強制ニート生活へ突入へ。
来る日も来る日も、ビザが下りるかどうかわからない不安とお金が無いストレスを感じながら、生まれたばかりの娘を養うという修行のような生活に。
悟りを開くかと思いました、はい。
しかし家でボーーーーっとしておくわけにもいかないのでいろんな所に助けを求めました。
まずローカルカウンシル(日本でいう地元の役所)地域住人の味方!
オーストラリア国民でもないぼくを助けてくれるのかなと思いましたが、状況を説明すると意外と親身になって話を聞いてくれました。結果、移民局へ問い合わせて、こんな困ってる人がいるというメールをしてくれました。感謝。
次に、ローカルセネター(上院議員)に直接メールと電話で自分の困った状況を説明して、助けてくれと懇願。ここも意外と話を親身になって聞いてくれました。(おそらく自分の選挙区の住人だけ)移民局へ直接連絡して事情を説明してくれた方もいました。感謝、感激。
そして最後は自分の周りのおエライ方々に事情を説明。話はだんだんと弁護士や地域リーダー的な方、地元紙の編集者、テレビのキャスターといろんな人に話が伝わったようで、
最終的にキャンベラ(オーストラリアの首都、政治の中心)に住む政府の偉い方まで話が伝わったそうで、なんとスポンサービザと労働許可が瞬時に下りるという奇跡。
ついに、キターーーーーーーーーーーー。2ヶ月間の修行が終わった瞬間でした。
しかしYoshinagasがコツコツ働いて、夢のマイホーム、オーストラリアンドリームへの頭金貯金はまたゼロからのスタートとなりました。
この物語はフィクションです。
2話完結。
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